LINE友だち追加でプレゼント!

細貝の生き方・考え方コラム

高等遊民とは?現代のブログで稼いでいる人と違っている意味

細貝です。

 

僕自身、元々はそのつもりはなかったですが、

最近、高等遊民と言う言葉を聞いて、

「あれ、これって自分に共通しているところあるなあ・・・?」

って感じ始めていたりします。

 

と言うのも、やっぱり、ブログやサイトなどの

ネットを使って活動し、収益を得て、

ある程度、自分がいつ仕事をしたり、遊んだりなどの

人生における選択肢の自由が得られつつある状況というのもあるでしょう。

まだまだ完全ではないですけどね。

 

ただ、高等遊民とネットで稼いで、余裕が出てきている現代の人、

ブロガーとか情報発信者が近いと言っても、

僕は一致していない印象に思えました。

 

それと、高等遊民の人たちは、ニートと同じような扱われ方をしていて、

あまり印象は良くない感じ。

 

そこで、今回は高等遊民の意味も含めて紹介するとともに、

何故か好まない人が多いのか?

 

そして、ネットの収益を得ているブロガーとどう違うのかを話していきます。

 

高等遊民とはどういう人なのか?その意味は?

まず、そもそも高等遊民なんて聞いたことがないし、

本格的に調べてみたこともない人もいるかもしれないので

言葉の意味から見ていくと、元々は明治時代からの言葉で、

昭和初期まで使われていた言葉です。

 

当時、大学などのいわゆる高等教育機関できてきて

学問も盛んになったのですが、

そうなると、必然的にいろいろな主義主張の人が出てきてしまいます。

 

だからこそ、経済的に不自由がない人は、

大学を卒業しても、公務員や会社員などのサラリーマンにならずに

自身の幸せを重視して、労働に従事しない人が出てきてしまうことに。

 

じゃあ、そういう人たちは何をしていたのかというと、

別に不真面目にサボっていたわけではなく、

自分の自由を重視し、自分の興味や自身を目標に向かって磨くために、

読書や勉強などを欠かさず、自分の学問や興味、世界観を

追求していっていました。

 

というと、意外と、

「いくら明治時代でもそんな人はそうそういないだろう(笑)」

って思ってしまう人がいるかもしれませんが、

意外と当時の就職率はせいぜい50%程度でしたので、

よくある話だったんですよね。

 

つまり、言い方を変えれば、最初は

望んでそうなったわけではないかもしれないけど、

世俗的な労苦を嫌い、定職につかず、

自由気ままに暮らしている人のように見えるので、

良く知らない人の目では、

「現代版で言うと(高学歴)ニートじゃん」

と写ってしまいますし、思ってしまいかねません。

 

ただ確かに、マジメであるがために孤独になってしまいがちなところとか、

自由気ままに生きていると似ている面もありますが、

本質的に違うところもあります。

 

それは、高等遊民の人たちは、焦りと言うものがない上に、

自分の未来、理想(目標を)をすでに決めていて、

そのため、日々自分を、自分で決めた目標に従って

磨くことに最大の興味があるということです。

 

つまり、人生で自分が何をしたいかが明確に決まっています。

 

そして、外面的な見た目(出世や肩書)、恋愛はもちろん

お金にすら興味があまりありません。

 

つまり、良くも悪くも本質的に自分の目標にしか興味が向いていない上に

自分が何者でどうしたいか(アイデンティティともいいます)が

しっかりしているということです。

 

この点に関しては、僕は素直にすごいと思うし、参考にはなると思います。

 

ただ、外を変えると言うか誰かと共有する視点があまりないので、

その点では少しもったいないとは思いますね。

 

だからこそ、ニートとは考え方が違う場合が多いと言うワケ。

 

もっとも、あくまで分かりやすいように

多くの人が考えがちなニートのイメージと比較した話であって

ニートの人と言っても真面目であるがゆえになる人が大半だから

中には、考え方が高等遊民の人に近い人がいても

何もおかしくはないと僕は思います。

 

ネットでの収入源を手にし、自由がある人は現代の高等遊民なのか?

ではでは、高等遊民の人は、概ね定職につかずに、

自分の目標としている未来のために、道筋を立てて毎日を、

自分を磨き、目標を達成することで後悔しない人生を

目指しているとお話ししました。

 

それを見て思ったのは、高等遊民と呼ばれる人と、

ネットで収益を得て、自分に嘘をつかない本心の通りの生活を

望んでいる自分も目指しているものや

目標とする未来の考え方はすごい似ているなってこと。

 

と言うのも僕自身、プロフィールで紹介していますが、

 

細貝のプロフィール

 

元々は、会社で周りを気にした望まない自分を演じ続ける生活に対して

 

「この生活をつづけた人生が幸せになるとは思えない・・・」

と疑問を感じ、自分の本心を尊重した生活を取り戻そうってことで

ネットでビジネスを始めた経緯があるからです。

 

つまり、周りに言われるがままの生活を脱して、

「自分の本来の選択と責任をもって生きていくために、

自分の力でお金を稼ごう」

と考え、その手段として、当時最も近づくと考えた

ネットでの稼ぎ方を始めました。

 

そう言う自分なりの目標を設定して、毎日取り組み、

自分に後悔しない人生を目指している意味では、

高等遊民と似ているところも感じ。

 

まあ、一応僕は大学は出ていますが、高学歴では無いので、

高等遊民からは微妙に外れてはいますが(笑)

 

ただ同時に、僕が高等遊民と似ていると言っても、

さすがにぴったり一致しているかというとそんなことはありません。

やっぱり、違っているところもあるなあと感じることも。

 

それが、高等遊民と呼ばれる人は

自分の内面を特に重視し、成長することで自己完結するのに対して、

僕みたいにブログをとかSNSで情報発信している人は、

相手がいるので、自己完結ではなく相手で

完結するってところが違うと感じていますね。

 

もちろん、情報発信を主にしている人は、周囲の目線を気にして、

自分の本心から外れてしまう悪い意味ではありませんよ。

 

むしろ、相手の立場に立てる目線を持つことで

「こう書いたら、分かりにくいのではないかあ・・・」

って感じで自分の本心から書いた記事を

もちろん話も分かりやすくまとめられるようになるなど

成長の機会が増えたりしている点です。

 

つまり、自分はもちろん本心からの人生を送れるようになりたいけど、

同じ悩みを抱えている読者にも教えてあげたい、

「他の人も同じ悩みを解決して、一緒に人生を豊かにしようよ」

って感じで言うなれば、社会をよりよくしていきたい、働きかけたいと

思えるかが大きな違いかなあとしみじみ感じています。

 

僕個人としては、どんな人でもそれぞれ才能も違うけど、確かにあるし

それを活かす役割も違うと考えています。

 

なので、高等遊民は一つのことを追求、僕たちブロガーなどの情報発信者は

分かりやすく情報をシェアという役割の違いかなと思い至りました。

 

現代の高等遊民への反応から見る現代人の余裕のなさ

これまでで、現代の高等遊民とブログ等でネットの収益を得ている人、

はたまたサラリーマンは、それぞれ役割が違って、

どれかが優れているワケではないと紹介しました。

 

ただ、目指す人生の幸せや目標が違うだけですね。

 

ただ実際、現代の高等遊民の人たちは、

「自分で収益を得ていない癖に・・・」

「自分一人では生活できないだろ・・・」

などなど、負の目線で見られることが少なくありません。

 

これがニートだと憐れみの目線もあったりしますが、

高等遊民の人の場合、負の目線が大半ですよね。

 

そういう現状を見ていて、

ブログやサイトなど運営して、自由に情報発信している僕が考えたのは、

「現代の人は、余裕がなさすぎる人が多いなあ・・・」と。

 

確かに、高等遊民の人が一人で生きていけないのは事実かもしれませんが、

仮定の話はあまり意味がありません。

 

まあ僕は別に、本人がそれで幸せに思っているなら、何も問題じゃないし、

素直に肯定し、祝福すればいいんじゃないかなと思っています。

 

 

ですが人間、自分より良い状況で、傍目から見れば楽をして

暮らしたりしているように見えてしまうと嫉妬してしまいがちです。

 

正直、気持ちも分からなくはないですが、

どんな理由があっても、他人の幸せに否定的なのは

あまりいい傾向ではありません。

 

と言うのも、心の底では、自分で手に入れられないと思っているからこそ、

手に入れている相手を妬み、否定してしまっている可能性もあるからです。

 

まあ、自分でも手に入れられると思うなら、他人事ですし、

そんなにムキになって否定する必要がありません。

 

ただ、そんな理屈より、他人の幸せを否定してばかりの人と

あまり一緒にいたいとは思いませんし、

本気で付き合いたいと思いませんよね。

 

当然人が集まらなければ、ビジネス、ブログ、仕事も

はたまた日常生活も何も上手くいかないです。

 

だからこそ、僕はそれでもいいんじゃないかって感じで

自分と違った相手を素直に受け入れる感覚を大事にしています。

 

つまり、相手の幸せがよく分からなくても

「僕の人生もいいですが、あなたのような人生の幸せもあるんですね!」

って幸せの視点を増やしていく感じ。

 

そう言う意味で、僕は基本的に自分の幸せはもちろん

他人の幸せも法に触れるとかのことがなければ、

自分がすぐに理解できないものであっても、常に応援するようかなと考えています。

高等遊民の意味を見つめる話まとめ

それでは、今回は高等遊民とはどんな人なのかの内容と

その背景を歴史も含めて紹介し、僕がどことなく似ていると

感じた理由を紹介しました。

 

それと、現代の高等遊民のような自由気ままに人生を過ごしている人や

幸せそうな人を見ると、不快に感じてしまう人への解決策もですね。

 

まとめると、高等遊民とは明治から昭和で使われていた言葉でした。

 

その意味とは、元々名のある大学などで教育を受け卒業したけど、

経済的にも不自由なく、特に働かなくても困らないので、

特に労働に関わるサラリーマンに就職せず、

自分の人生の興味や目標に向けて、

毎日、淡々と自分の歩みを進めている人と言うことでしたね。

 

つまり、人生の目標が明確であまり迷いがないので、

パッと見、ニートと似てはいますが、内面は大きく違うってことになります。

 

そんな高等遊民と僕みたいに自由に情報発信しているブロガーは、

目標や未来の考え方は似ているけど、高等遊民の人たちは自己追求、

ブロガーやビジネスをしている人は相手共有なので

常に、自己を意識しつつも、相手も考慮する

バランス感覚だなあと実感した次第です。

 

これからもどんどん情報を提供していきますよーってことで

今日はこの辺で・・・

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

アフィリエイト自動収益化の教科書を

LINE友だち追加でプレゼント!

RELATED POST